アーサー・ランサムの世界 by COOT

Nancy Blackett

Since : 1998/01/25
Last update : 2002/01/13

 「鬼号。」と、ロジャがいった。「船の名まえにしちゃ変だね。どこにいるのかな、鬼号は。」
 「いま一隻川をさかのぼってくる船がある。」と、ジョンがいった。「しかし、まっすぐイプスウィッチまでいくのかもしれないな……」
 「ずいぶんきれいな色の帆ね。」と、ティティがいった。
 赤い帆を上げた白い小さなカッターが、もやっている船の群れのほうへ進んでくるところだった。だれかが、前部甲板でいそがしく動いている。子どもたちがじっと見ていると、赤い大きなメンスルがくにゃりとなって、船室の上に大きくおりたたまるようにおちた。


『海へ出るつもりじゃなかった』より
(強調はCOOTによる)
"the best little ship I ever sailed in"

-- Arthur Ransome

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Special thanks to Mr. Ted Alexander for the lovely pictures.

鬼号=ナンシイ・ブラケット号

『海へ出るつもりじゃなかった』に出てくる鬼号は、ランサムが1934年に買った30フィート、7トンのカッター『ナンシイ・ブラケット号』がモデルとなっています。この2つの船は細かなところまで同じで、例えば、ジム・ブラディングがハリッジの港務部長に話した鬼号の船体番号「16856」はナンシイ・ブラケット号の船体番号でもあります。

ナンシイ・ブラケット号と名付けられるまで

この船は1931年にLittlehamptonのHillyard'sで建造され、最初は『Spindrift号』と名付けられました。次の持ち主は『Electron号』と名前を変え、その後「ナンシイがいなければ決してこの船を買うことは出来なかった」と思ったランサムが『ナンシイ・ブラケット号』と命名しました。

ランサムとナンシイ・ブラケット号

ランサムは、ドーセット州プール(Poole)からピン・ミルまで凄い悪天候の中でナンシイ・ブラケット号を回航しました。ワイト島沖でそれを見た沿岸警備隊が救助艇を用意させたほどです。でもランサムとクルーのPeter Tisburyは無事にピン・ミルに着き、回りの心配に驚いて見せて、船の装備を濡れたまま急いで片づけてから食事にありつきました。
ランサムは『ひみつの海』の舞台であるHamford Waterで1936年の一夜をナンシイ・ブラケット号で過ごした後、帰りの航海のことを次のように書いています:
荒天用セールを張った彼女は、とても幸せそうにほとんど飛ぶように進み、大きな波に持ち上げられて、白い波頭が飛び散る中で波の頂上に乗り、波に抜かれて滑り降りてはまた次の波に持ち上げられた。本当に素晴らしかった。全行程で他の帆船は全く見かけなかった。汽船をひとつと、とても素晴らしいバージをふたつ見ただけだ。2隻の大きなテムズ川のバージと私の小さなナンシイの3隻は、一緒に嵐の中でNazeを回った。
ランサムは5年間の間ナンシイ・ブラケット号と共に幸せな時を過ごし、『海へ出るつもりじゃなかった』と『ひみつの海』を書きました。ところが、妻のイブジーニアは船の「台所が狭い」と言うので、ランサムは新しいヨット「Selina King号」を作らせ、ナンシイ・ブラケット号を売ることになります。後年、ランサムは生涯で最高の船であったナンシイ・ブラケット号を手放してしまったことを後悔します。

ナンシイ・ブラケット号のその後の持ち主

ランサムがSelina King号を手に入れる時に、ナンシイ・ブラケット号はReginald Russell氏というランサムの熱烈なファン(自分の家をBlackett Cottageと呼んでいました)の手に渡り、彼は8年間東海岸で船の面倒をみました。
その後、さらに3人の持ち主の手を経て、1966年にWilliam and Eunice Bentleyの手に渡りました。『Arthur Ransome and Captain Flint's Trunk』の著者であるChristina Hardymentさんが1980年代初めの頃に彼らを訪ねた時は、赤いジブに白いメンスル、船体は緑色でした。

私達のナンシイ・ブラケット号

1997年に、世界中のランサマイト達の寄付金により、ナンシイ・ブラケット号を買い取り、現在はNanncy Blackett Trustにより維持管理されています。(COOT一家も寄付しました^^;)
日本での寄付金集めに貢献されたポラリスさんが、1997年の夏、ナンシイ・ブラケット号をピン・ミルに近いウルバーストンのマリーナに訪ねた時の写真とその時の印象です。
ナンシイ・ブラケット号 つれづれの印象 by ポラリス
 1997年の夏、私ポラリスは、ランサマイト見習いの2人の息子(9歳&7歳)と一緒に、TARSの会員マーティン・ルイスさんの案内で、ウルヴァーストン・マリーナのナンシイ・ブラケット号を訪ねました。

 ナンシイ号は、マリーナの外れに係留されていました。第一印象は、「なんて小さい船!」というものでした。こんなに小さい船で、ジョンたちは嵐の北海を越えたんだ。すごい……。

 ルイスさんが、早速、船室の鍵をあけて中を見せて下さいます。舷側をまたぎ越え、操舵室(「室」と言っても、別に屋根があるわけではありません。舵の傍に、座れるようにちょっと腰をおろす部分がついているだけです。これにもびっくりでした)からドアをくぐって船内へ。
 ドアはとても小さくて、なるほどジム・ブラディングが頭をぶつけてしまうのも無理はないと思いました。身長160cmの私も、気をつけてドアをくぐり、数段の階段を降りて船室に入ります。
 階段の左側には洗面台があります。ひょっとして、これが「流し」なのだろうか? 洗面台の上方にコンパスがあって、操舵室からコンパスをのぞくための丸窓(スーザンが磨いた窓)も、ちゃんとあります。
 船室の床に立って手を上げると、すぐ天井に届いてしまいます。測ったわけではありませんが、床から天井まで 180cmないのではないでしょうか。
 船室の両側には、もちろん寝棚。寝棚の上には、フラッシングの港の風景が見えた窓。ランサムの描いたイラストが、ナンシイ号をモデルにしていることがよくわかります。
 子どもたちは、喜々として、日本から持参したピカール(しんちゅう磨き剤)で丸窓の縁を磨いていました。ちょっとこすると目に見えて効果があらわれてぴかぴかになるのが面白かったようです。家にはしんちゅう製品がないので、いまだに「もっと磨きたかった」と残念がっています。

 またいつかナンシイ号に会う機会があったら、今度はぜひ帆を広げた姿をこの目で見たいと思いつつ、マリーナを後にした私たちでした。


(The pictures were taken by Polaris-san at Woolverstone marina near Ipswich in the summer of 1997.)

参考資料


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