アーサー・ランサムの世界 by COOT

福岡→ハウステンボスの航海

2001年大晦日

since: 2002/01/02
last update: 2002/01/12

 

12月初めに20年以上ぶりに会った高校時代の友人に、彼の34フィートのセーリング・クルーザーで福岡→ハウステンボスの航海に誘われました。航海士は寒そうだからパス、子供達は2人とも楽しみにしていたのですが、出発当日の朝になってきれいなポリーが風邪をひいてしまい残念ながら参加出来ず、四本モミと2人で参加することになりました。

30日朝9時に福岡の小戸ヨットハーバーに集合した時には、沖は白波が立ち、風速25m波高5mの台風なみの天気でした。天気予報ではどんどん天気は回復するとのことで、友人の船長は出航を今晩遅くか明日早朝に延期することに決定しました。そんな天候でも船長の知り合いのクルーザーが、やはりハウステンボスを目指して出航して行きました。皆で「気をつけて〜」と言いながら見送りましたが、後で無線で聞くとやはり外海は無茶苦茶荒れていて、博多湾の入り口に浮かぶ玄海島の港に避難したそうです。

22時半にまたヨットに集まり、船長の友人2人(どちらも十数年のヨット歴)と総勢5人で23時に出港しました。航海灯を点けての夜間航海の始まりです。ハウステンボスのある大村湾の入り口の西海橋の潮流が非常に強いため(特に今晩は満月で大潮なので余計に強く、最大10ノットになります)、グレート・ヤーマスを越える時みたいに潮が止まる干潮の時か、逆に満潮の時でないと安全に通過出来ません。西海橋の潮止まりが31日は正午か18時頃なので、正午のを目指すとなると逆算して30日真夜中頃に福岡を出航して夜を徹して航海することになるのです。

朝の風が信じられないくらい風は収まってますが波は残っており、博多湾内の波高は1mくらい、出航してしばらくして船長は「久々に博多湾で舵を取ってみる?」、私は「もちろん、待ってました!」。大きな艇なので、ティラー(舵棒)ではなく、クルーザーでは私は初めて握る舵輪(ラット)です。まっすぐ湾の出口を目指します。普通より重たいけど少し回すだけで反応してくれるし保針性もよくいい舵です。

満月に照らされて、はっきりと影が出来るし、海は予想以上に明るいです。時々かかる雲から満月が出ると、頭上からスポットライトでも浴びたみたいな気がして思わず空を見上げます。星も見えます。見通しが良くて遠くの灯台やブイの明かりがにぎやかです。全身で夜間航海だなあ〜という感じを満喫します。

博多湾から外海に出る辺りには、波高2mくらいの三角波が立っていて、艇は大きく揺れて軽い波しぶきも何度か浴びました。進路を270度(真西)に変針し、少し強まった向かい風を受けて進みます。基本的にはずっと機走での航海ですが、艇を安定させるためにメンスルも半分開きました。北海を横断するジョンの気持ちになりながら舵を取ります。かなり揺れる中、次のワッチ(当直)の船長の友人2人はさすが船乗りでちゃんと寝ているようです。四本モミも一度下に寝に行きましたが、船酔いしてしまいました。

2時間以上西に向かって唐津湾を過ぎた後、南西方向に変針し平戸を目指します。また大きな波が立っている海域を通り、艇は大きく揺れ、両足を踏ん張りながら舵を取ります。冬の海の上で強い風に吹かれたり波しぶきを浴びて、しっかり着込んでいても確かに寒いことは寒いけど、段々慣れて来たのと、心の中のワクワクするような気持ちから発する熱で、覚悟していたよりも平気でした。

当直の交代です。舵を代わり、私も少しは寝ようと船室に降りていくと、またたくまに船酔いしてしまいました。しばらく我慢して寝ようとしていたけど、結局船室を飛び出し、2度ほどナンシイになってから後は、すっきりしました。四本モミも苦しみを共にした後はグーグー寝ています。

次の当直の間にエンジンのスピードを少し上げたので、船長の計算では最初の難関の平戸瀬戸に明るくなり始めてから着くはずだったのが、暗い間に着いてしまいました。まだ強い潮が逆方向に平戸島と九州本土の間の狭い海峡を流れており、アプローチの途中には浅瀬や島もあって、複雑な地形をしています。月明かりで島の位置は分かりますが、海峡への入り口を見つけるのは、ブイや灯台の明かりが頼りで、今ひとつ船長も確信が持てないようです。後ろから追い抜いて行った汽船に付いて行こうかとも言っていましたが、これも実際は難しくて確実ではありません。

何度も海図を確認して、船長も大丈夫と思ったようで、潮に負けないようにエンジンの回転数を上げてそのまま進入して行きました。入り口には、大きな渦がたくさん巻いていて、波も高く荒れている所に突っ込んで行きました。急いで船長が舵を取ります。潮が強くて前に進めません。渦に巻かれて針路が大きく右に左にとそれてしまいます。波にたたかれ、グワーッと艇が傾きます。突然ガクンと座礁したりしませんようにと私は知らないうちに強く念じていました。

平戸瀬戸の難所を夜間に越えるのは、後で船長も結構あせったと言っていました。舵を代わるのが十秒遅かったらもっと大変だったとも。マストを何度か折ったり、日本→韓国のレースで浸水したり、その帰りに舵を失い救助されたりというハプニングを乗り越えてきた経験豊かな船長の言葉なので、私も無事にそういう体験が出来てラッキーでした。

瀬を抜けて平戸大橋をくぐる頃には、夜明けを迎え、朝焼けがきれいでした。一難去って、皆、ホッとした気分でおしゃべりもはずみ、スープやホットラムで身体を温め、おにぎりやパンで朝食にしました。

そこから九十九島の一番外側を通り、佐世保に向かいます。何度か転進して、佐世保湾の中へ、さらに大村湾の入り口となる西海橋の架かる針尾瀬戸へとヨットを進めます。佐世保が本当に天然の良港となっているなあと実感しました。段々と水路が狭くなり、くねくねと右へ左へと曲がりながら、一番の難所の西海橋にちょうど潮止まりの時刻の少し前にやって来ました。今度は弱い連れ潮(行きたい方向に潮も流れています)に乗って、平戸よりもさらに狭い海峡を進み、弱い渦潮も越えて西海橋をくぐりました。

そこからハウステンボスはすぐです。浅瀬があるのか、ぐるりと島を大回りしてハウステンボスに海からアプローチして、入港しました。マリーナの浮き桟橋にもやって、無事に航海が終わりました。安堵感と達成感に包まれます。

ハウステンボスの中のレストランでビール片手にお昼を食べながら、皆で航海の無事を祝いました。初めての船酔いも経験した四本モミに、皆が少し心配そうに「また乗りたい?」と聞いて、四本モミが「乗りたい!」と答えると、皆は嬉しそうです。私もそんな仲間意識をとても嬉しく思いました。

観光客でにぎわうハウステンボスの中を、ライフジャケットやシュラフやバッグの大荷物を持って防水/防寒ウェアを着た場違いな格好で歩いて駅に向かい、特急ハウステンボス号の中で爆睡しながら実家に帰りました。


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