アーサー・ランサムの世界 by COOT

シュピッツベルゲン探検

1998年3月20〜22日

Since : 1998/04/04
Last update : 2002/01/12

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「日本のウィンダミア、ARC関東お茶会メンバーの心のふるさと」と言われている福島県の桧原湖にて、天文台さん・Minnowさん主催で行われた「シュピッツベルゲン探検/救助隊」イベントのレポートです。全面氷結した桧原湖畔のディクソン農場に滞在しながらイグルーを作ったり、イグルーの中で食事したり、クロスカントリー・スキーでシュピッツベルゲン島を目指したりということを楽しみました。

これは、2月に行われた「シュピッツベルゲン探検/D姉弟隊」に続いて、この冬2回目のARC関東お茶会メンバーによる探検隊です。第1次隊である「D姉弟隊」のメンバーは、かわらやさん、マーゴさん、福田亭主さん、Tea Bayさん、P of 8さん、たつのこ太郎さん、(ポートサイドさんは体調悪く往路途中で残念ながらリタイア)でした。

第2次隊である「救助隊」の隊員は、総勢9人で、2つの隊の分かれて出発し、現地のディクソン農場にて集結しました。ツバメ号(COOT家の車)隊は、20日(金)の午後出発し、その日の夜ディクソン農場に到着、ヤマネ(ビ?)コ号隊は、21日(土)の朝、東北新幹線(やまびこ号)で出発し、お昼頃到着しました。

ツバメ号隊 ヤマネ(ビ?)コ号隊
船長:COOT 天文台
航海士:エリカ Minnow
AB船員:きれいなポリー ポケット
ボーイ:四本モミ ツバメ返し
水先案内人:「南海の恐怖」ピータ  (ネズ公)

写真はどれもクリックすると拡大表示されます。

ディクソン農場で探検隊集結
ツバメ号に荷物を積み終わり、いよいよ出発です。(金曜日午後2時)
雪におおわれたディクソン農場です。(土曜日早朝)
D姉弟隊が作って残していってくれたイグルーです。この超特大のイグルーには、救助隊9人全員が入って食事が出来るだけのスペースがありました。Three Million Thanks!

D姉弟隊が去って救助隊が来るまでの間に、土人が天井に煙突穴をあけてくれていました。救助隊は、そこから立ち上る湯気を外から眺めたり、池に張った氷の板を持って来て穴の上に置いてガラス窓にしたりして楽しみました。
ツバメ号隊がお昼をイグルーで食べていると、ヤマネ(ビ?)コ号隊が到着しました。「Ahoy! Ahoy!」とイグルーの中から叫びました。
ハイ・グリーンランド遠征訓練
ディクソンおじさんを水先案内人として、ハイ・グリーンランドへの遠征訓練を行いました。クロスカントリー・スキーは全くかほとんど経験がない隊員ばかりなので、坂を登るのも、木立の中を木にぶつからないように滑るのも大変です。むずかしい所はスキーをはずして手で持って歩きました。

ハイ・グリーンランドとは、ディクソン農場をはさんで湖とは反対側の丘の上にある展望台です。その近くには立派なブナの大木も生えていました。

スキーが今日初めてのツバメ返し君はとっても頑張りました。この後、シュピッツベルゲンへの往復もとうとう歩き通しました。大人にとっても想像以上にハードな冒険でしたから、子供にとってはもっと大変だったことでしょう。
「おまえも、やがては探検家になれるぞ。」
シュピッツベルゲン遠征
訓練を終え、いよいよ氷結した湖に乗り出してシュピッツベルゲンに向かう寸前の探検隊員達です。
残念ながらその後の写真はありません。

凍った湖の氷の上に雪が積もり、それが解け、また凍り、ということを繰り返した湖面は、わりと暖かな日だったせいもあって、体重のかかったスキーを支えきれずにズボッと少し沈むような所が広くありました。まるでフカフカのじゅうたんの上を歩いているようです。そんな所で転ぶと、お尻がビショビショに濡れてしまいます。

かなりの距離を歩いて、ようやくシュピッツベルゲンと思われる島に上陸しました。思ったよりも高い小山まである所でした。でもよく調べると、どうも違う島のようです。さらに奥に見える別の島が本物のようです。ここから先は、湖面も単調な氷原を終え、隆起や岩があるような地形になっていました。出発し、先に進み始めてまもなく・・・
事故が起きました。

誰も気付かない間に、四本モミが解氷面に落ち、何とか自力で岸に上り、声も出せずに全身びしょ濡れのまま岩の上に座って震えていました。様子がおかしいのに気付いた大人たちが集まり、仰天し、急いで服を脱がせて親のスキーウェアを与え、熱い飲み物を飲ませ、背負ってディクソン農場まで戻り、熱いお風呂に入れました。

言葉では書ききれませんが、隊員皆が、本当に1人残さず全員が、四本モミのために知恵と力と勇気と暖かくて優しい心を惜しみなく出してくださいました。本当に本当に素晴らしい仲間に恵まれて、幸せに思います。心の底から、ありがとうございました。
探検が終って家に帰った後、皆それぞれが事故のことを考えました。Minnowさん・天文台さんの呼びかけで事故調査団が設けられ、皆で話し合いました。とっても素晴らしい話し合いでした。あらためて、仲間同士の間でお互いに与え合うことが出来ることの大きさに感動しました。

私は一生、この事故のことを、輝くような誇れるような心が暖かくなるような、そういう想い出として持っていることと思います。
救助隊のイグルー作り
D姉弟隊の残したイグルーに加えて、救助隊もイグルーを作ることにしました。きれいなポリーと四本モミの最初の計画では、3方向から掘り進み、中でつなげてトンネルの滑り台を作る、という野心的なものでした。先に到着していたツバメ号隊のP太・きれいなポリー・四本モミが3つの入り口を、最初に掘り進めました。
これは「P太の穴」。一番細長くて、最初から這って入ります。まるで冬山で遭難しないように掘る雪洞のようです。その後、この穴は「Old Level」と名付けられました。
これは「きれいなポリーの穴」。一番居心地が良い穴なので、皆が手伝いたがるのですが、きれいなポリーは自分以外の人に掘らせません。でもどうしても我慢が出来なくなったCOOTが手伝い、自分の穴に見切りをつけたP太も手伝い、その後、入り口には大仏と江ノ電の像が出来、中は2階建てになるという訳の分からない穴に変貌していきました。
これは「四本モミの穴」。きついことはすぐに嫌になって手を抜こうとする性格を反映して一番小さな穴です。その後、Minnowさん、天文台さんがこの穴の拡張に努めました。四本モミは、イグルーを作るにはお湯を持って来てかければ直ぐに穴が広がるのではないだろうか等と、せこい考えばかりつぶやいていました。
イグルーでの生活
ツバメ号隊の土曜日のお昼ごはん。
日曜日、全員でティー・タイム。ティーを沸かすのに、当然水は氷から作りました。
念願の「煮込み鍋」を作って食べました。中にはペミカンがたっぷり入っていて、そのせいかスープもこくがあってとってもおいしかったです。
  • おいしそうな匂いにつられてやって来たシロクマ
  • やっぱり日本人、焼きもちも作って食べました
ミニ海賊たちの遊び
イグルーの裏の斜面で遊ぶミニ海賊達。四本モミは、新しい遊びを考え出しました。自分が来ているスキーウェアの背中をソリの代わりにして、写真のように頭を下にして斜面を滑り降りるのです。
大きな穴をはさんで、3人のミニ海賊たちはそれぞれの陣地を作り、防御のための壁を作ったり、それに雪玉を投げて壊したりして戦争をしていました。
ディクソン農場での生活
おいしい夕食をいただきながら、くつろぐ探検家たちです。後ろの本棚には「六人の探偵たち」が置いてありました。ARC会員から贈られた「ツバメ号とアマゾン号」、ARCの遠征隊が写っている写真、アトリエまこりんのリボンにゅーす号外版、いろんな物が次から次へと出て来て、農場もどんどんランサム化しつつありました。
ディクソンおじさんのマーゴレッタ号に乗せてもらえて大喜びのミニ海賊たち。その後、大人も順番に乗せてもらいました。
ディクソンおじさんも一緒に、最後の集合写真をイグルーの前で。
帰航
ディクソン夫妻にさようなら。
湖にさようなら。
猪苗代駅前にて、ヤマネ(ビ?)コ号隊とさようなら。あれっ、きれいなポリーが混じっているぞ!?

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