旅作りのヒント【こだわりの旅】

離島に辿り着くまでの旅

Last update : 1997/05/17


私は生まれてから大学を出るまで福岡に住んでいました。家では「西日本新聞」を取っていましたが、ある年の元旦の分厚い新聞の束の中に「水納島(みんなじま)」という南西諸島の中の離島の話が載っていました。確か、島に唯一の学校に子供が一人、先生が二人、そのうちの一人は生徒のお父さん、という所です。水納島の人が「本島」というと近くの別の島のことを指し、その島の人にとっての本島はまた別の島でさらにその別の島の人が本島というと沖縄本島のことを指す、といったような話しも載っていました。そこに書いてある小さな島での生活の様子がまるで物語の中の世界のようで、それ以来ずっと離島にあこがれ続けていました。

学生になって自由に旅行できるようになると、バイトで貯めたお金でせっせとあこがれの島巡りをしました。と言ってもまだ本当の離島には行ってません。離島に辿り着く前に、先ほど書いた「本島」の鎖を逆に辿っています。いきなり一番の離島に行くと、その島のことが分からないと思うのです。高い山に登るのに、ふもとから足で苦労して登ってようやく山頂に着くのと、山の頂上にヘリコプターで降り立つのとが全く違うように、離島にいきなり行ってはいけないような気がするのです。

まだ南西諸島で行ったのは奄美大島、喜界島、徳之島、沖之永良部島、沖縄本島、石垣島、竹富島、西表島です。でもほとんどの島をじっくり見ました。特に徳之島では島人の中にぐーっと入り込みました。家に呼ばれたり、風呂に入れてもらったり、泊めてもらったり、観光開発をしようとする地元のブローカーに利用されそうになったり、大変お世話になった別の地元の人に迷惑がかかる話だと気が付いてそのブローカーの申し出を断ったり、と島の生活にかなり入り込めました。

そういった中から島人の声をいくつか聞きました。徳之島でお世話になった家の娘さんは、大学に行くために本土に出ると言葉に一番困ると言っていました。沖縄の方はそうでもないですが奄美諸島の言葉は全く何言ってるのか本当に分かりませんでした。私が、○○○列島に行ってみたい、と言うと、喜界島に住んでいる人は「あそこに住んでいる人は人間が違う」と言いました。どう違うのか尋ねると、「スケールが違う」と言います。えっ、と聞き返すと「自分たちよりももっとスケールが小さい」と言っていました。

こうやって離島に少しずつ近づいているうちに、大学を出て就職して東京に出てもう十数年過ぎました。でもまだ離島に辿り着きたい気持ちは持ち続けています。離島はそれほど遠くて行くのが大変な所なのだなー、という気持ちです。

関連ページへのリンク

補足:沖縄には「水納島」という名前の島は二つあります。このページで取り上げた島は、沖縄本島の近くにある水納島とは別の島です。


[ トップ・ページへ戻る ]