アーサー・ランサムの世界 by COOT

洞窟探検

1998年5月3〜5日

Since : 1998/05/24
Last update : 2002/01/12

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富士山の西側にある田貫湖(たぬきこ)でキャンプしながら、青木ヶ原樹海の中の洞窟を探検した「かわらやボブを訪ねる会」のレポートです。探検隊のメンバーは:

田貫湖キャンプ
長谷川家: ふりびとさん、MOTOSUさん、茶帆子ちゃん (5月3日夜、一瞬登場)
Titmouse家: Titmouseさん、Mr. Titmouse、チョコレート君、ぽりい1ごうちゃん (5月3〜4日)
アトリエまこりん: ポケットさん、ツバメ返し君 (5月3〜5日)
COOT海賊一家: COOT、エリカ、きれいなポリー、四本モミ (5月3〜5日)
洞窟探検 (5月4日)
頭目さん
ポケットさん、ツバメ返し君
COOT、きれいなポリー、四本モミ

田貫湖キャンプと洞窟探検

1日目 : 5月3日(日)

東名高速の渋滞もたいしたことなくて、道中雨だった天気も富士宮に着いた時には晴れ間が出ているくらいでした。田貫湖は連休のキャンパーでかなり混雑してます。霧の中でウィガムを設営し終えてから、白糸滝までバスで来たポケットさんとツバメ返し君を迎えに行きました。

キャンプでお昼を食べてから、そろそろニジマス釣りに行こうかという時にちょうどTitmouse号が到着しました。TitmouseさんのNiftyServe上ARCパティオへの書き込み「観光組の航路」より:

Titmouse家は朝ゆっくり出発し、みんなと逆回り、つまり富士山の北側をまわっていきました。河口湖近くのマクドナルドで昼食、その後観光用の鳴沢氷穴、富岳風穴に入りました。ぽりい1ごうが本格的探検には小さすぎるのでこうしたわけなのですが、背が低くてかがまないですむからか、どんどん先に歩いていってしまいます。本当はみんなと一緒に洞窟探検したいといっていたチョコレート葉祐はなぜかもう洞窟はいやだといい、ぽりい1ごうはもっと入りたいといいました。(葉祐に道具を買って探検に参加させ、一緒に入りたいという美咲を必死で説得するなんて無理をしなくてよかったとつくづく思った。)それから田貫湖へいき、マスのつかみ取りから合流した次第です。

近くのマス釣り場でジャッキーになってニジマスのつかみ取りをしました。水がとても冷たくて裸足の足では30秒も入っていられません。だからニジマスを追いつめて掴まえるのも結構苦労しました。ジャキーに教わった通りに指を水中で絶えず動かしながらニジマスを掴まえるとうまくいきました。エリカはその近くの渓流でセリを見つけて摘みました。

キャンプ場に戻った子供たちは田貫族(ポケットさんによる命名)との同盟に成功しました。他のウィガムに住む田貫族の子供と友達になったり、土人との貿易に成功してジュース・お菓子を手に入れたりしました。懐中電灯でモールスの火星通信もしましたが、きれいなポリーから信号は早すぎて誰も読めませんでした。

夕食はTitmouseさんのご主人が大活躍で、今まで茄子嫌いだったチョコレート君もおいしく焼けた茄子が大好きになりました。掴まえたニジマスの塩焼き、焼き鳥、ヤキソバ、骨付きカルビの焼き肉、ポークステーキ、先ほど摘んだセリの和え物、焼きいも、焼きおにぎり等などをいただきました。

ポケットさんの「わぁーきれい」という声に空を見上げると素晴らしい夕焼けでした。眺めているとあっという間に色褪せてしまいました。ほんの短い間だけ、自然が見せてくれた空の絵でした。

もうすっかり暗くなったキャンプに、MOTOSUさんと茶帆子ちゃんの劇的な登場です。ツバメ号のワイパーにはさんでおいた簡単な地図だけを頼りにこの大混雑の土人部落の中でよくぞ探検隊のウィガムを探し当ててくれました。なんと、ふりびとさんは富士宮で倒れて救急病院に行ったら水疱瘡と診断されて、巨象号(長谷川家の車)に隔離状態だということです。黄色と黒の旗があればあげるところでした。これから富士吉田のホテルに行って今晩は休むということであまりキャンプには一緒にいれませんでした。

2日目 : 5月4日(月)

キャンプの朝食はホットケーキとソーセージと他にも何か食べたかもしれません。

ツバメ号は霧の中を青木ヶ原樹海へと出発しました。バスでやってきた頭目さんをバス停で出迎えて、いよいよ洞窟探検隊が全員そろいました。道路から樹海の中に10分くらい歩いた所に洞窟があります。連休なので、他にも洞窟探検をしよういう大学の探検部らしきパーティがいくつか来ていました。でもまずは腹ごしらえにペミカンシチューと焼きおにぎりです。食事の用意の間、子供たちは別のパーティとの同盟に成功しました。だんだん土人との交易も上手になってきて、今度は木の枝一本とお菓子の交換に成功したそうです。これには感心してしまいました。遠くから聞こえてくるセールストークに耳を澄ますと、この木の枝の料理方法とかこれがいかにおいしいかとか説明していました。

さて、いよいよ洞窟探検本番です。まずはCOOTが偵察にはしごを降りました。まだその先の岩は凍っています。氷を避けて先に進むには高さ3mくらいの割れ目を両手両足を突っ張りながら降りなくてはなりません。その先もまだ凍った岩の急斜面がありそうです。う〜む、結局のところ今回は無理なのでしょうか。でもこのはしごを降りたところまでは取りあえず大丈夫です。

ザイルをセットして、足を滑らせても大丈夫なようにCOOTが確保しながら頭目さん、きれいなポリー、四本モミ、ツバメ返し君、ポケットさんの順でまずははしごの下まで降りました。そこから先が問題です。本当はMOTOSUさんとCOOTのどちらかが確保しながらどちらかが最初に安全なルートを探すつもりだったのですが、探検隊のナンシイであるMOTOSUさんは疫病発生のためにいません。

途中で先に行ってもらった別の探検隊は右側の3mの割れ目ではなくて、皆左側の凍った岩の方を進んでいました。そこでCOOTが確保しながら頭目さんにそちらを探ってもらうことにしました。氷を避けながらうまく降りて行く頭目さんに引きずられてザイルがどんどん伸びていきます。左側から大きく回り込むように降りてザイルが無くなる頃下に着きました。なんとかなりそうです。それからまた一人ずつ同じルートをたどって順番に降りていきました。途中でまた別のパーティに先に行ってもらったりしたので、全員が下に降りるまでに1時間くらいたっていました。

そこからはほとんど平坦な氷の床なので、ザイル無しに洞窟の奥へと進みました。氷が融けて水溜まりのようになっているところを抜けるとゆるやかに奥へ傾斜したスケートリンクです。洞口からの光がもう見えなくなる所まで来て、そこで皆のヘッドランプを消しました。真っ暗な闇です。そこで一つだけヘッドランプを点けて天井を照らすと・・・「飛行石だ!飛行石だ!」のポケットさんの声。岩肌一面に宝石のようにキラキラと輝く氷の粒粒です。所々傾斜がある所は、覚悟を決めて滑り落ちるしかありません。立ったまま滑る人、お尻で滑る人、皆楽しみました。一番奥の少し手前でかなりの傾斜の所があって、そこを頭目さんとCOOTが立ったまま滑ろうとしてどちらもこけて落っこちていきました。さすがの海賊たちもここはやばいと思ったのかその手前で満足しました。

さて「往はよいよい帰りはこわい」です。頭目さんが「これ、かなりやばいんじゃないですか?」と言いながら、今度は上り坂のスケートリンクを戻り始めました。ツルツルの氷の床には手がかりが無く、登ろうとしてもすぐに滑り落ちてしまいます。傾斜のある所は壁に沿って壁の手がかりをつかみながら腕力で登ったり、四つ足でハイハイして登ったりしました。洞口の最後の急な岩はまた一人ずつザイルで確保しながら順番に登りました。皆ザイルを胴の回りにもやい結びで結ぶやり方をしっかり覚えました。

洞窟探検大成功!万歳三百万唱!

河口湖に向かう道が大渋滞だったので、日帰り参加の頭目さんを白糸滝に送り、そこから彼は富士宮・新富士経由新幹線で帰りました。残るキャンプ隊の夕食はバーベキューだったと思います。

3日目 : 5月5日(火)

朝起きると青空、ようやく良い天気になり気分は最高です。大人は濡れたテントやタープを日で乾かしながらのんびりとキャンプの撤収をする間に、子供たちは8時半に事務所が開くのを待ってボートに乗りに行きました。COOTのNiftyServe上ARCパティオへの書き込み「3隻のボート」より:

大人がキャンプの撤収で大忙しの間に子供達がボートで何をやっていたのか聞きました。

まずヤマネコ島(田貫湖に浮かぶ無人島)に上陸・探検して3月の下見の時にあった鳥の巣と卵を探したけどもうありませんでした。それからヤマネコ島一周レースをやって、一番から順に旗艦ツバメ号・アマゾン号・スカラブ号を決めました。このレースは今度は本式にぜひまたやりたいそうで、2分前・1分前・スタートの合図を誰かにやって欲しかったそうです。その後、未踏査の湖の奥地の探検に出かけて、魚をつかまえて、魚を入れるビニール袋も湖に浮かんでいたのを拾って、ボートを返す時間も忘れて(というか、最初からまったく気にもしていない?)遊びほうけていたようです。

これを聞いて、いいなあ、大人も今度はそういうことしたいと思いました。

探検の余韻

1998年5月6日、COOT発探検隊員宛電子メールより

★ 田貫湖キャンプ隊・洞窟探検隊の皆さん、AHOY!
おかげさまでキャンプも洞窟探検もとっても楽しかったです。どうもお疲れ様でした。ツバメ号は昨日朝10時に田貫湖を発ち、ポケットさん・ツバメ返し君が富士宮駅で降りた後、まだ渋滞が始まる前の高速で意外と順調に帰れたので12時45分にはベックフットに戻りました。新幹線のポケットさん達と帰宅時刻はいい勝負だったのではないかと思います。Titmouse号も4日は昼過ぎには帰宅出来たそうで良かったです。頭目さん、4日の夜は急な帰宅ルートの変更でしたが(あのまま行けば河口湖駅まで少なくとも2時間はかかっていたと思います)順調に帰れたでしょうか?

★ ふりびとさん、MOTOSUさん、AHOY!
ふりびとさんの具合はいかがでしょうか?ふりびとさんの体調が良くないのに連休中に洞窟探検・キャンプを強行したことで、結果的にふりびとさん、MOTOSUさん、茶帆子ちゃんにとっても無理をさせてしまったようで、本当に申し訳ありませんでした。MOTOSUさんもふりびとさんを富士宮の救急病院を探して連れて行ったりしてとっても大変だっただろうし、ふりびとさんの体調がさぞご心配だったことだと思います。それにもかかわらず、連休で大混雑の田貫湖キャンプ場で探検隊のテントを探し当てて来られたのは本当にありがとうございました。旅行中の写真をさっそく昨日帰宅後に現像・プリント早い所でしてもらったのですが、その中にMOTOSUさん、茶帆子ちゃんも含めてテントの所で皆が写っている写真が2枚だけあって、とっても貴重な写真だなあと思って見ていました。

洞窟探検は昨日ふりびとさんには電話でお話しましたが、一緒に入れなかったのはとても残念ですがうまくいきました。最初からずっと一緒に計画してきたのに先に入ってしまって申し訳なく思っています。でもおふたりが参加出来なくても残りの探検隊が無事に洞窟探検をすることをおふたりも望んでいるに違いないと信じて洞窟に入りました。MOTOSUさんがいないので私が確保すると安全なルートを探しながら先に下に降りる人がいなくて困ったなあと思っていたのですが、頭目さんが見事にその役をやって下さったので最初の難しい所もみんな安全に降りることが出来ました。最初に私が1人で偵察に降りて行った時は今日はやっぱり無理かなあと実は内心はあきらめかけていたのでした。ちゃんと本洞の終点まで行けました。ポケットさんも頭目さんも子供達も私も大満足でした。終点の先は次回にとってあります。というか、終点まで皆で行けたことで嬉しくて、その先があることを忘れていました。これは次回のお楽しみです。次はぜひ皆で一緒にやりましょう。

洞窟探検隊の皆さんへ:ふりびとさん・MOTOSUさんがいたからこそ出来た探検です。いきなり皆で洞窟へ行こうとあまり深く考えずにいた私を、そんなに甘い所ではない、ちゃんと安全のための準備をいろいろと考えないと駄目だとたしなめて下さったMOTOSUさん。3月の下見の後、やっぱり海外赴任の前にやるのは無理だろうなあとあきらめかけていた私に、連休中にやりましょうと励まして下さったふりびとさん。おふたりのおかげで安全な洞窟探検が成功したのです。

1998年5月6日、ポケットさんのNiftyServe上ARCパティオへの書き込み「氷の世界」より

◆「その日」が来るまでの長いお話
ARCのアウトドア巨頭・長谷川家&COOT家・富士風穴探検レポートが、3月末パティオに発表されました。雪を踏みわけての厳しい探検は、ARC夏イベントとして洞窟探検を企画するための下見だったと、聞いています。COOTさんの海外赴任が決まり、ご一家渡米までに急きょ小規模な探検隊でなんとかトライすることをめざして、スケジュール調整や交通情報や装備準備など、長谷川家とCOOT家のご指導のもと、計画の模索・変更を繰り返して、GW中の洞窟探検が実現しました。
残念なことにふりびとさんがご病気で、探検家MOTOSUさんの勇姿を仰ぐことは次回のお楽しみとなったのですが、ガッツ長谷川一家は病をおしてキャンプ場まで来てくださいました。シロウトのわたしたちがこんな貴重な探検を体験できたのは、長谷川家とCOOT家の知識・技能・牽引があってこそでした。感謝をこめて、探検の感動を記します。

◆1日目・泥の海
5月3日、COOT家とポケット母子とTitmouse家は、田貫湖キャンプ場に集いました。霧のキャンプ場は「ひみつの海」状態。子どもたち5人は長靴をがっぽがっぽいわせて走り回り、地名を命名したり、ウナギ族ならぬ田貫族と同盟したり。ニジマスのつかみどりをして、水辺のセリをつんで、ワイルドな晩ごはんとなりました。
日も暮れて暗い中、長谷川一家がキャンプ場へ驚異の登場。ありがとうございました!ご一家のファイトと責任感には、なんだか今も、じんじんきてしまいます。

◆2日目・樹海の中の秘宝
来る途中で風穴2つの観光を済まされていたTitmouse一家は、翌4日の朝、一足先に帰宅。残りの隊員は、日帰り参加の頭目さんと、目標の洞窟近くでおちあいました。いくつも「どうくつたんけん物語」を書いていたツバメ返しは、ヘルメット(ローラースケート用)とヘッドランプをつけて本式に探検することを考えると、出発の朝から胸をおさえて「ドキドキしてる」と言っていた。その冒険が、いま始まる。

風穴は、エントランスの所が既に氷づけ。最初の落ち込みの部分は、ザイルを使って氷のわきのわずかの岩をさぐり降り。先頭から頭目さん、きれいなポリーさん、四本モミくん、ツバメ返し、ポケット、最後は「確保」のCOOT隊長。全員、体に巻きつけるもやい結びを覚えました。
底へ到着すると、わたしたちを待っていたのは、なだらかに奥へ傾斜した氷の廊下。天井につららのシャンデリア。床に透明な彫刻群。うつくしいものは、誰の目も届かない闇のカーテンの向こうにあった。
鑑賞してる場合じゃない。なんせ氷のすべり台。わたしたちの靴に、アイゼンはついてない。壁にへばりついて進むこともできなくなったら、これしかない=子ども3人とわたしは、おしりで滑って突破しました。きゃっほー。
すれちがう土人隊員の姿がなくなった頃、隊長の号令で、6人全部のヘッドライトを消しました。・・・完璧な闇・・・そして再び隊長がライトで照らした岩壁には・・・飛行石!飛行石!小さなキラキラが、ライトで照らされた岩壁でおしゃべりしてる。「飛行石!」というポケットの叫びに、「じゃ、この上にはラピュタが来ているんですね」という応答あり。(岩に付着してる氷の粒が反射している現象。)
いきどまりの壁らしきものを見とどけて、さあ帰ろうとして頭目さんがひとこと。「しかし、これをもどれるんでしょうかねぇ?」今度は氷の上り坂。わたしとツバメ返しは、壁をつたってハイハイです。這っていて発見したこと=岩を薄くおおっている氷の膜の表面は、エアキャップのようにポコポコしている。空気中の水分が凍りついてそうなるのでは?、という推測がなされました。
おりるときに置いてきたザイルに守られながら、最後はつるつる岩登りです。モミくんは、確保なしでひょいひょい登りました。探検家の血筋ですね。さあ、地上へ!

◆3日目・三隻のボート
晴れました。子どもたちは一目散にボートへ。湖を見渡すと、老練な漕ぎ手であるCOOT姉弟の2隻のあとに、ツバメ返しがナント!さかこぎで現れた。前を行く仲間を追おうと焦っているとき、仲間に背を向けては漕げなかったわけね。大人が岸から教えても無駄だったけど、ポリーさんが船で近寄って教えてくれたら、あっさり正常に漕げるようになった。子どもたちは、敵船のかわりに、浮いてる魚を2匹、捕獲してきました。
・・・いまは去るのみ。さらば、氷の世界。再び地底旅行の日がやってくるまで・・・

1998年5月7日、ポケットさん発ふりびとさん、MOTOSUさん宛電子メールより

ふりびとさん、お加減はいかがでしょうか。

探検当日、樹海の小道を歩いていると、4本モミくんが「うわぁ、雪がないと道があるぅ!」と、行きも帰りも言っていました。ということは3月は、「道」がなくて「雪」があったわけね。5月にわたしたちがあっさり洞窟まで行けるのは、3月の長谷川家とCOOT家の下見のおかげだと、しみじみ思い知った瞬間でした。
わたしには思いもよらないところで、両家のみなさまには、いろいろ頭をしぼっていただいたり、心労をおかけしたことと思います。ほんとうにありがとうございました。

ずっと以前に、「ツバメ返しが小さな頃なぜか洞窟に興味を持ち、奥多摩の鍾乳洞を観光したことがある、洞窟探検に憧れている」ことを、MOTOSUさんへのメイルに書いたことがありました(確か・・・)。そのお返事で、MOTOSUさんが富士山の洞窟におくわしいことを知りました。
まさかまさかまさか、子どもがヘッドライトつけて探検できるとは、そのときには思えませんでしたが、COOTさんがARCと出会い、長谷川家とCOOT家の出会いがあり、東京お茶会の仲間たちがいて、こうやって探検が実現したことを思うと、なんだか不思議な幸せな気持ちでいっぱいになります。

「彼、美しくない?」
の「彼」は、わたしにとっては「富士風穴」でした。「彼」は、ひとり美しくて、だれに見てもらおうという気持ちもないように、漆黒の衣装をまとって、孤独が好きなようでした。でも雪が解けると「彼」の孤高も少し解けるのか、生意気な人間たちを受け容れてくれました。
そんなふうにも、感じました。

そして「彼」は、小田母子に、素敵な出会いを用意していてくれたのです。わたしたちが入口で用意していると、「小田さん!」と言ってひとりの青年がわたしの前に飛び出してきました。さっき探検を済ませた若者たちのひとりです。
「え!だれ?このひと」とめんくらうわたしに、「ぼくだよ、さとし」。
さとしくん!!!さとしくんは、以前ご近所だった男の子で、ツバメ返しが1才の赤んぼの頃、小学3年生だった。その後引っ越したあともちょくちょく遊んでいたけど、最近2年間は会ってなかった。今は「小田さん」と呼んでくれたけど、いつもは「まこちゃん(まこと)のおばちゃん」と言っていた子と、富士風穴の前で再会しようとは。
さとしくんは高校は登山部、大学はワンゲルだから、風穴にいてもおかしくないけど、「まこちゃんとまこちゃんのおばちゃん」がここにいるのには、さぞ驚いたことと思います。思わず「すごいでしょ、わたしたち」って自慢しちゃいました。

出会いが出会いに連なって輪唱しているような、探検の旅でした。わたしが見ることのできた光景はとても貴重なものでしたが、その体験のまわりにいたみなさんとのつながりが、いちばん貴重だったんだと思います。とてもうれしい。とても幸せ。

ご病気のかたとそのご家族へ、うるさすぎる便りかとも思いましたが、お礼とお見舞いを申し上げたくてメイルさせていただきました。ありがとうございました。どうか、お大事になさってください。

1998年5月8日、COOT発ポケットさん宛電子メールより

パティオへのレポート・メールで表わされたポケットさんの感動の気持ちは、そっくりそのまま長谷川家や私の感動になっています。この洞窟探検を企画・実行したことで自分自身も自分の家族ももちろんとっても楽しんだけれど、仲間にこんなに喜んでもらえたということはもっともっと価値のある喜びです。ありがとうございます。

1998年5月9日、COOT発ふりびとさん、MOTOSUさん宛手紙より

仕事の方もとても忙しそうですがその後具合はいかがでしょうか?いろいろとご無理させてしまって申し訳ありませんでした。

田貫湖キャンプ参加者皆がパティオでレポートしているように、夜のキャンプ場への突然のご登場は本当に感動的でした。その時に撮った貴重な(?)写真をお送りします。

洞窟探検をポケットさん、ツバメ返し君、頭目さんにあんなに感動し喜んでもらえたのは、そっくりそのまま長谷川家・COOTの感動にもなっています、とポケットさんあてのメールに書いたのですが、私は本当にそう思っているし長谷川家もそう感じていると嬉しく思います。「こういうことやりましょう!」と言って、それにのってくる人がいて、終った後も「楽しかった!」と知らせてくれる人がいるなんて本当に素晴らしいことだなあとあらためて思った洞窟探検イベントでした。

だからやめられません。アメリカから帰ってくる頃には茶帆子ちゃんも堂々とキャンプを楽しめるだろうし、今度は樹海の奥に眼鏡穴を探しに行ったり、富士風穴のさらに奥を探検したり、田貫湖で大人も子供も入り交じって本式のレースや海戦をしたり、野望に果てはありません。ぜひまた一緒に企画・準備して皆で楽しみましょう!

洞窟探検までの長〜〜いお話

この洞窟探検は、長谷川家とCOOT家との出会いをきっかけにアイデアが生まれ、MOTOSUさんとCOOTの5ヶ月あまりに渡る準備を経て実現しました。計画の誕生、下見の旅行、実現に至るさらに詳しいレポートはこちらです。


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