イスラエル「聖書の地」巡り

ユダヤ教関連のその他の遺跡

Last update 1996/10/28


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エルサレム、神殿の丘、「嘆きの壁(西の壁)」

第二神殿時代(BC516〜AD70)はヘロデ大王の神殿をとりまく城壁の一部だったと言われているユダヤ教の聖地です。

ここでは男女祈る場所が分けられていました。子供も大勢いましたが、真黒な服を着て髪やひげを伸ばしたユダヤ教徒が時には泣きながら一心不乱に祈っていたのが印象的です。ここやダビデの墓のようなユダヤ教の聖地では男子は頭頂を隠さなくてはならず、写真のように観光客はダンボールで出来た小さな帽子を借りて乗っけています。風が吹いてこれが飛んでしまうと、皆あわててそれぞれの帽子を追いかける様子がおかしいのですが、笑っていられないような真剣な雰囲気がありました。
エルサレム、「ダビデの塔」

ヘロデ大王(BC37〜BC4)が妻・兄・友を記念して3つの塔を王宮の北端に建てました。現在のは約400年前にトルコが再建したものです。
死海周辺、「マサダ」

死海のほとりの崖の上にヘロデ王が建てた宮殿の跡です。

AD70年にユダヤ人がここに立てこもり、ローマ人を相手に2年以上も篭城した後、最後には異教徒に辱めを受けるよりはと、抵抗者900人余りが5人の女子供を除いて全員自決した場所です。

左の写真はその時にローマ軍が駐屯していた跡です。
死海周辺、「クムランの廃虚」

死海の西北角にある遺跡です。この地に人がすみ始めたのはBC8C頃からですが、BC2Cの終わり頃になって、エッセネ派と呼ばれるユダヤ教の一派がここで共同生活を始めました。

この一派が書き移した聖書の写本「死海写本」が左の写真の洞穴で、1947年に15 才の羊飼いの少年によって偶然発見されました。発見された羊皮紙の巻物状の聖書は、BC150〜AD50頃に書かれたものであることが判明し、それまでの聖書の最も古い写本から一気に1000年も前の聖書本文が明らかになったわけです。世界を震撼させた考古学上の一大発見です。

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