イスラエル「聖書の地」巡り

新約聖書の世界

Last update 1996/10/28


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ナザレ、「受胎告知教会」

この中近東最大の教会の真ん中の祭壇には、処女マリアが天使ガブリエルから「あなたは男の子を授かる・・・」と告げられた洞窟があります。(ルカ伝1章26-38 節)
ベツレヘム、「聖誕教会」

ベツレヘムに来たマリアとヨセフは、泊めてくれる宿屋がなく、仕方なく馬小屋に泊まり、そこでイエスは生まれました。小さな洞窟の中のイエスの生まれたとされる場所には、銀で星の形がはめ込まれた祭壇があります。(ルカ伝2章1-7 節)
ベツレヘム、「羊飼いの野」

(ルカ伝2章8-20節)
タブハ、「山上の垂訓の教会」

「心の貧しい人たちは、幸いである、・・・」のイエスの説教(マタイ伝5章)はここでなされたとされています。ここで会った日本人の巡礼ツァーの人達は、皆良い表情をしていました。この人達には数日後にまたエルサレムで出会いました。
タブハ、「聖ペテロ首位権の教会」

この湖畔の教会は、のどかで色々な珍しい鳥がいて印象のいい所です。
イエスが弟子ペテロにこれからの宣教を託している像があります。
この教会の中の祭壇は大きな岩です。この岩の上で復活後のイエスが弟子達と食事をしたということで、この教会はキリストの食卓という別名も持っています。
またこの岩でイエスが、2匹の魚と5つのパンを5000人以上に食べさせた奇跡を行ったという人もいます。
(マタイ伝14章13-21節、他)
エリコ、「悪魔に試みられた誘惑の山」

エリコの町外れの山の崖にへばり付くようにギリシャ正教の修道院が建っています。イエスが山に上り40日間断食して、悪魔に誘惑された話(マタイ伝4章1-11 節)の山がここだと言われています。
エルサレム、シオンの丘、「マリア永眠教会」

マリアが亡くなった所とされています。
エルサレム、旧市街、「ベテスタの池」

イエスが動けない病人に向かって「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」と言うと、その病人はすぐに治って歩いて行ったという話(ヨハネ伝5 章2-9節)の場所だと言われています。
エルサレム、オリーブ山、「主の泣かれた教会」

この教会の窓から黄金のドームを中心にエルサレムを一望できます。イエスはここでエルサレムを眺め、その崩壊を予言し、涙を流して説教したと言われています。(マタイ伝23章37-39節)
エルサレム、シオンの丘、「最後の晩餐の部屋」

(マタイ伝26章17-29節、マルコ伝14章12-25節、ルカ伝22章7-38節)
エルサレム、オリーブ山の麓、「ゲッセマネの園」

弟子達を連れてここまで来たイエスは、彼らを後に残し、ただ一人進み、地にひれ伏して神に祈りました。そこへ祭司長が差し向けた大勢の捕り手が、イエスを捕まえにやてきました。(マタイ伝26章36-56節、マルコ伝14章32-50節、ルカ伝22章39-53節)
エルサレム、旧市街、「十字架の道行き(ビア・ドロローサ)」

イエスがローマ総督ピラトの法廷で判決を下され、重い十字架を背負って、ゴルゴダの丘まで歩いた道です。「悲しみの道」とも呼ばれています。

イエスが苦痛に耐えかねて立ち止まったと思われる所は、第1ステーションから第9ステーションまで、番号が付けられています。両側はこの写真ようにバザールになっていてにぎやかな通りです。第10から第14までは、次の聖墳墓教会の中にあります。

出発点の近くのエケ・ホモ教会はピラト官邸のあったアントニオの砦の上にあります。エケ・ホモ教会の前の、この写真のアーチは、アントニオの砦のアーチです。
エルサレム、旧市街、「聖墳墓教会」

ここがビア・ドロローサの最終点であり、イエスが処刑されたゴルゴダの丘、その下の墓所があった場所です。最初の写真がイエスが十字架にかけられた第11 ステーションです。

ここには、東方教会の宗派それぞれにチャペルを持っています。教会の屋上にコプト教修道士が住んでいる集落があったりして、この辺りは何がなんだか分からないくらいゴチャゴチャしています。

3枚目の写真の石版は十字架から降ろされたイエスの聖骸に油を塗った場所とされています。

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