イスラエル「聖書の地」巡り

イスラエルの人と生活

Last update 1996/10/28


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エルサレムの旧市街は周囲8kmの城壁で囲まれています。この城壁には8つの門があります。旧市街は、1967年まで半分はヨルダン領だったのを、イスラエルが6日間戦争によって占領した所です。私が行った当時は一見すっかり平和に見えても、所々に警戒を怠らない様子や緊張が見られました。
ダマスカス門

北側の門です。この門の上には、ここから城壁内を広く見渡せるせいか、銃を持ったイスラエル兵が常にいました。と言っても、気さくに一緒に写真に写ってくれました。
ライオン門(聖ステファノ門)

東側の門です。1967年の6日間戦争の時、イスラエル軍はこの門から旧市街突入をはかりました。門の幅いっぱいに戦車が通った跡が、その両側の削られた石の壁に遺されています。
黄金門

東側の門で神殿の丘の岩のドームの近くにあります。8つの門の中でこれだけは閉ざされています。岩のドームから黄金門に近づこうとすると、大声で誰かがこちらを見ながら叫びだして、どうもそちらに行ってはいけないと言っているようだったので、それ以上近づくのを止めました。写真の手前はイスラム教徒の墓です。
エルサレムの旧市街、つまり城壁の内側は、キリスト教地区、アラブ地区、ユダヤ地区、アルメニア地区、テンプル地区に分かれています。それぞれの地区ごとに雰囲気が違います。これがエルサレムの大きな魅力を醸し出しています。
ユダヤ地区

アルメニア地区とユダヤ地区は、比較的静かで落ち着いた雰囲気でした。安息日にユダヤ地区を歩くと、ここに住んでいる敬謙なユダヤ教徒に石を投げられるという話を聞きましたが、本当かどうかは確かめませんでした。
アラブ地区

感覚的には旧市街の大半はアラブ地区という感じでした。旧市街の中の狭い道の両側にいろいろな店が並んでいて、それこそアラブの雰囲気がします。

それ程欲しかったわけではないけど、値切りの交渉を楽しみたくて、真鍮と銀の皿を一枚ずつ買いました。

(皿の写真はキリスト教地区かもしれません。)
イスラエルは、世界各国から戻ってきたユダヤ人、イスラエルで生まれたユダヤ人(サブラと呼びます)、もとから住んでいたアラブ人が共存する国です。
「人なつこいサブラ達」

東洋人の幼児が珍しいのか、2歳の娘は行く先々でワッとサブラの子供達に取り囲まれることがありました。キスしたり、触ったり、手助けしたり、と大騒ぎでした。

ヒッチハイクしていたサブラのカップルを、乗せてあげたこともありました。男女とも兵役があるそうです。ヘブライ語の成り立ちも教えてくれました。ヘブライ語というのはそもそも聖書が書かれた言葉だけど、それは大昔の事で発音とか詳しい事は残っていないわけです。それを1948年のイスラエル独立の前に、世界中からユダヤ人がここパレスチナに集まりつつある頃、一人の人が現代ヘブライ語というのを作って、聖書時代には無かった電話・テレビ・その他の多くの新語を加えて、それを公用語としたのです。おかげで、世界中あちこちから集まったユダヤ人同士その言葉でコミュニケーション出来て、それがイスラエル建国に役立ったわけです。
イスラエル南部にて、「羊飼い」
エルサレム郊外にて、「羊の市」
ゲッセマネの園のそばにて、「移動中のオレンジ・ジュース売り」

2つに割ったオレンジを、専用のテコでブジュッと絞って作ってくれるオレンジ・ジュースがとても新鮮でおいしかったです。
エリコにて、

廃虚だと思って見ていたら、人や家畜が動いていて、ここに人が住んでいるのだと分かり驚いてしまいました。
エルサレム、ダビデの町の近く

この斜面にびっちりと張り付いたような石造りの家々も印象的でした。
最後に町角の人々のスナップ写真をお楽しみ下さい。

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